novel

街のはずれも世界のまんなか

回晩行

収録

2022/2/28

刊行

34

ページ

17240

  • 1st短編集-回晩行

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   一

 やおらに統制された街がある。あらゆる建造の外壁は乳白色と定められ、屋根はレンガ造りで揃えられ、年の半分は雨にさらされている。

都心から出発する特急列車の終点にある、それなりに開発はされているが、周辺には山の木々が残っている街だった。その街に傘職人が一人いる。唯一の傘職人であるユサンは父親から継いだ技術で作り続け、街の人々はユサンの傘を使ったが、その流通は街にとどまっていた。ユサンはそれで満足していた。彼には大して野心があるわけでもなく、父親ほどの情熱も持ち合わせていなかったので、平日の昼間は知り合いの経営している、街のはずれにあるカフェで給仕として働き、日が暮れてから一人で黙々と傘を作る。傘は限られた数しか作れなかったが、街の人々が使ってくれるのであれば、彼にはそれで十分だった。そのようにして生計を立てていた。

 雨になると街はユサンの傘に包まれる。ユサンはいつもその光景に静かな面持ちで応えていた。その街はよく風にもさらされる。そうするとどれだけ傘が強くとも、飛ばされたり、壊れたりした。それでも街の人はユサンの傘を使い続けた。

 そんな街のある日、カフェに一人の女性がやってきた。扉の上のベルが揺れてユサンがそちらを向くと、街では見たことのない女性だった。

 女性はオーバーオールに綿のスカート、黒のブーツを履き、突然降り出した雨に、カフェに避難してきたようだった。

「けっこう降っていますか?」とユサンはタオルを手に取り、女性に渡した。

「ありがとうございます。曇ってはいたんですが、いきなり降ってきましたね、たくさん」と言って会釈をし、窓際の一人席に座った。彼女はカプチーノを注文してから窓の外を眺め、やがてしばらく雨は止みそうにないと判断したからか、ポーチから本を取り出し読み始めた。

 平日の夕方の口、この時間帯は本来なら客足もあったが、この日は少なく、店の中は雨音が静かに響いていた。控えめな照明、食器が擦れる音、香りが混ざり合って空間を作り上げていた。ユサンはカプチーノを持っていくと、女性は本を閉じた。

「旅行をなさっているんですか?」ユサンが尋ねた。

「いえ、ちょっと息抜きも兼ねて、ここでしばらく生活しようかと考えているんです。つい数日前に引っ越してきました。よくお分かりになりましたね」

「この街はとても小さいですから、人の顔もすぐ覚えてしまうんです。よそから来た方はすぐわかりますよ。どうぞゆっくりしていってください」

 雨足はどんどん強くなっていき、店を閉めようとする頃にも降り止む気配がなかった。走ればなんとかなるかしら、と決めあぐねる女性に、ユサンは傘を差し出した。

「店の置き傘です。使いますか」彼女は傘を手に取り、布を品定めするように、思わず見つめた。

「とても良い傘じゃないですか。こんなものお借りできません」

するとユサンは笑った。

「ありがとうございます。といっても、大したものじゃありませんよ。その傘は僕が作ったものなんです。この街で使われてる傘は全て僕が作っているんです」そう言われて、彼女は再び傘を見つめた。

「とても素敵な傘です」

「傘はいくらでも置いてありますから、遠慮せずに持っていってください」

「ありがとうございます。お気遣いしてくださって。お借りしますね。また今度お返しに伺います」

「お気になさらず。僕はずっとこの店にいますよ」

「お礼というほどでもないのですが、私のアトリエにもぜひいらっしゃってください」

「アトリエ?」

「はい。まあ、ちゃんとしたところでもないのですけれど、自分のペースで絵を描いているんです。もし気が向いたらぜひいらっしゃってください」そう言ってメモ帳に彼女は住所を記して破り、ユサンに渡した。それから彼女は店を出て傘を開いた。雨に濡れた街並みに彼女の姿が消えていくのをユサンは見届けた。それから大事そうにメモをポケットにしまっておいた。彼女の名前はイサギと言った。

   二

 それから二日経ってから雨は止み、からっと乾き晴れた天気になった。ユサンは休みの日にイサギのアトリエに向かうことにした。

 白い塗りで統一された街並みはユサンをいつもわくわくさせた。晴れた日には一層街は輝きを放ち、彼に街を好きにさせた。車道を挟む花々の咲く茂みは香りを漂わせ、誰もが知らぬうちに街の人々を包み込んでいる。

 角に面したイサギのアトリエは二方向をガラスで囲い、薄いカーテンで覆われていたが、うっすらと店の中を見ることができた。イサギは木製の小さな腰掛けに座り、髪を後ろで束ねてキャンバスに向かっていた。ユサンが扉を開いてもイサギは気づかなかった。軋む木目の床に真っ白い壁、いくつかの水彩画が飾られていた。どれも風景画だったが、この街の周辺の風景ではなかった。大きな鉄橋、夕暮れに当てられるビル、どれも素人のユサンでもイサギの絵だと判断できるほど、オリジナリティが通い、一貫性のあるタッチだった。絵を一枚一枚丁寧に見るたびに歩き、歩くたびに床は軋み、三枚目の軋みでようやくイサギは訪問客に気づいた。

「来ていたんですね、何か出します」と大慌てでパレットを腰掛けに置き、奥に入っていった。部屋に一人残ったユサンは、未完成のキャンバスを観た。かすかに鉛筆で曲線が描かれ、ところどころアクリルで色をつけられている。しかしどれだけ情報の断片をつなぎ合わせても、イサギが今、何を描こうとしているのか、完成形がユサンには見えなかった。

 イサギは腰掛けをもう一つ出し、それから麦茶を出した。

「これは何を描いているんですか?」

「こころのありようを描いているの」二人揃って絵を見つめた。

「この青色は不思議な色ですね。明るい色なのに、なぜか暗い気持ちを思い起こさせられる」

「ありがとう。色を作るのは好きなの。この色もこだわって作った」

「これは誰のこころのありよう?」

「私」それからユサンは少し黙って考えた。

「これはどういう気持ちなんですか?」

「わからないから描いてるんです」

「なるほど」

「あなたの傘の色も綺麗だった。あれはどうやって作っているんですか?」

「染めて作っているんです。最近は台風がないから壊れることもないし、みんな傘は足りているみたいで、作業も減ってしまったけど。でも染めて色を作るのは楽しいから、傘を作らなくとも、いつもいろんな色を作ったり実験したりしているんです。一緒ですね」ユサンが笑うとイサギも笑った。

「また今度ゆっくりお話ししましょう。いつもあのお店にいるの?」

「大抵はあそこにいるよ。お店が閉まった後も使えるし、また会おう」

dehaze