novel

私は犬ですか?/je suis un chien?

旅のような庭

収録

刊行

8

ページ

3637

  • 3rd短編集-旅のような庭

  • 全文公開

 私の家の前には川が流れていて、川にはいくつもの石があり、いくつもの枝もあった。幼い頃には裸足で川を駆け回ったものだ。近所の子らと水をかけあい、川を泳ぎ、魚を取ったりもした。

 時には大きな石に引っかかっている枝を取って投げたりした。枝を取ると、入り組んでいた川の流れが流暢になり、つっかえていた木の葉たちが解放されて流されていった。私はその様子をじっと観察することが好きだった。他の子らはそんなことを気にせずに、無邪気に枝を手に取っては振り回し、ぶつけ合い、投げ合った。私はえも言えぬ全能感と恐怖をおぼえたものだった。歳月をかけて流され、下流へ進み続ける過程で石に引っかかり、何年間もそこに留まっている枝や木の葉を、子供らは無邪気に掴み取っては下流へ投げ捨て、川の流れを変えてしまう。何も知らないまま、我々は世界の重要な一部を変えることができるのだと思うと、頭がくらくらした。

 幼い頃は私の家に犬がいた。焦茶色のコリーで、ちょっとやそっと力を入れようものなら折れそうなほど痩せこけていた。いつも何を考えているのかわからないような無表情で、弱々しい犬だった。私はいつも夕方に犬を連れて散歩をしたが、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、しようとしたら今度はその場でへばってへたり込む、とにかく自由気ままな犬だった。散々連れ回されて飽き飽きするものの、どうにも惨めで貧相な犬だったからかわいそうにもなった。地面にへたり込むと、水を飲ませるために屈んでやった。すると、犬はこちらにまなざしを投げかけてきた。

 ちょっと情けない眼差しだが、信念を貫いているような、どこか芯のある眼差しだった。私はそれを見るたびにどきっとするのだった。この芯はどこからくるのだろう?へばっているはずなのに、俺はまだいけるぜ、今に見ていろ、とでも言わんばかりの芯が犬にはあった。

 犬も川で遊ぶのが好きだった。しかし川でも犬は自由奔放で、どれだけ子供らで戯れあおうとしても言うことを聞かず、自分の好きなように川をうろつき回った。犬は川で物を拾うのが好きだったから、あたりかまわず石や枝や泥に噛みついた。私はそれをどうにかやめさせようとしても、やめさせられなかった。犬は顎の力が強く、枝であっても石であっても、噛み跡が付くぐらい力強く噛んでは持ち運ぼうとした。ある時はコンクリートほどの大きな石を噛んでいたので私は犬の口を掴んで、そいつを離させようとしたが、犬は犬で意地になってむしろ力を強めた。結局お互い疲れて力を緩めて放したが、そのかわりに犬は左の歯が少し欠けてしまった。犬の噛み跡はなおさら目立つようになり、川には犬の左の歯の浅い噛み跡、右の歯の深い噛み跡の不釣り合いな印だらけになったものだった。

 ある時を経て、子供らは犬を気にしなくなった。何をしてもいうことを聞かず、自分のやりたいことをする、自由奔放な犬だったからだ。子供らは子供らで遊びを発明した。石を投げて川を切ったり、どれだけ遠くまで枝を投げ飛ばせるか競ったりした。中でも夢中にしてやっていたのは、枝をどれだけ早く川の下流まで流せるかという競争だった。子供らは思い思いに手頃な枝を探しては拾い、なるべく上流まで登ってから、川へ放った。出発点が高ければ高いほど、枝の加速は速くなり、下流までスピードをつけて下っていった。子供らは枝の邪魔にならないようにしながら、それを追って川を夢中で下っていった。

 時には、枝は途中で石に引っかかって止まることもあった。そんな時は絶望の声をあげ、それからまだ進み続けている枝にすぐ集中を切り替えた。枝は一つ、また一つと脱落していき、最後の一つになったら子供らの興奮は最高潮に達し、そして最後の難関の一番大きな石を越えたら最後、加速も最大に達して、ずっと追うことのできない下流まで一気に遠く離れていく。子供らはそれらを歓声をあげながら見送っていったものだった。それからまた、思い思いの新しい枝を拾い、皆で上流まで水を撒き散らしながら駆け上がった。

 犬は決まって少し遠くから我々を見つめていた。何をするでもなく、ただ我々の様子を見つめ、その場の成り行きを観察していたのだ。

 ある夜には、犬が家に帰ってこないこともあった。最初は心配もしたが、一晩もすれば次の夜には帰ってきたので、次第にそれに慣れていった。

 ある夜には、二日、三日、そして一週間も帰ってこないこともあった。そんな夜にはさすがに私も心配したものだった。けれど必ず帰ってきた。犬は必ず泥だらけで、あちこちに泥や葉っぱをくっつけて、へとへとになって帰ってきた。そしてすぐに自分の寝床に直行し、貪るように眠った。一人で野生で生きる獣のように。犬がどこに行っていたのか、わかることはなかったが、犬には犬の確固たる意志があることは感じ取れたので、好きなようにさせておいた。

 そんな時はもう昔、次第に川で遊ぶ子供らは減っていき、最後には犬一匹になっていた。犬があまりにも寂しさを抱えていると、私もそんな歳ではなくなっていたが、川へ降りて犬のそばを歩いてやったりもした。その時も川は流れつづけ、そこにはいくつもの石があり、枝もあった。枝は石に引っかかり、そこだけ流れが堰き止められて、くたびれた木の葉たちが引っかかっていた。犬はそれを見つめていた。かつてのようにそれに噛みついて持ち運ぶ気力もないようだった。犬は老犬になっていた。かつて少年だった私は、十九になっていた。

 私と犬はじっとその枝を見つめた。いつからそこに引っかかっていたのかわからない。私たちが来る直前かもしれない。一日前や、一週間前、はたまた五年も前かもしれない。私にはわからなかった。私はもう十年も川に足を踏み入れていなかったことに気づいた。枝は川の流れに翻弄され、ゆっくりゆっくりと上に押し上げられて、やがて石を越えた。それから下流へ流れていった。それに釣られて木の葉も解放されて流され、石の周りの流れが自然なものになった。私と犬は枝が見えなくなるまで見送った。あの枝は一体どこまでいくんだろう?海まで?まっすぐ辿り着くだろうか?また石に引っかかったりするのだろうか?そしてまた数年もの歳月をかけてそれを乗り越え、また流れに流されていくのだろうか?私は枝の果てしない旅路を考えた。犬もきっと考えている。

 私が二十八になる頃に犬は死んだ。川の石を間違えて飲み込んだらしかった。私が実家に帰ってこれたのは、犬が死んだ三年経った後だった。家の脇に墓ができており、墓からは川が見えた。私は靴を脱ぎ、川に降りた。裸足をつけると心地良い。かつてやっていたように、私は石を拾ってみたり、枝を拾ってみたりした。

 一つの枝が気になった。摩耗してすべすべになった枝に、指を滑らせてみると、微かに引っかかりがあった。よくみると二つの窪みがあった。左に浅い傷、右に深い傷。犬の噛み跡だった。枝の状態からすると、もう果てしなく長い間、川の水にさらされているようでもあった。犬が死んでから三年も経っている。これはどこから流れてきたのか?確かに犬の持っていた枝だった。

 私は川辺の周辺を調べた。上流の方の茂みに獣道があった。犬と同じ大きさほどの、すっぽりと抉れたような獣道。私は屈んでそこに入っていった。地面はぬかるんでいたが、枝葉には引っかからず進むことができた。こうなるまでに、犬は一体何どこの道を往復したのだろうかと思った。

 その道を五分ほど行くと、急に視界が開け、大きな水源に出た。自分の知らない場所だった。背の高い木々に囲まれて、すっぽりと外が見えない空間だった。しかし、道はそこで終わらなかった。犬が進んだであろう、ならされた道はまだ先へ続いていた。再びその跡を追っていった。

 また別の大きな水源に出た。今度は岩場に囲まれていた。どこにつづくかもわからないが、岩の隙間から湧き出ている水が平べったく丸い水源になり、そこから下流に流れている。見上げると、夕焼けが見えた。ここがどこかわからなかったが、家の裏にある山を登ってきたようだった。とても静かな場所だった。岩肌が音を吸収する代わりに、水の流れる音だけがかすかに反響している。そこには枝が散乱していた。拾い上げると、噛み跡のある枝ばかりだった。

 犬はここから枝を流していたのだ。誰よりも上流の高い場所から、誰よりも長い時間をかけて下流にある私の家の前まで流れてきた。そしてさらにその先の下流まで流れていくのだろう。

 私は水源の前に座り込み、そこの空気を吸い込んだ。そして果てしない時間を費やして犬がやっていたことを考えた。長い時間をかけて流れていたものがまた上流に戻され、今、私の手の中にある。

 日が沈むと、私は持っていた枝を川へ放った。枝はゆっくりと流れ、次第に加速していき、下流へ流されて見えなくなった。

dehaze