車の窓の外の、小雨の中で手を振る叔母は笑顔がとても祖母にそっくりだった。自分はどうだろう?どこか祖母にそっくりなところはあるだろうか?どこか一つでも見つけたくって、考えてみたがさっぱり思いつかなかった。家族とは新大阪駅で別れた。別れた時のことは覚えていなくて、気づいたら俺は一人になっていた。
祖母は旅行が好きで、生まれてからずっと自分の町に住んでいたが、毎年どこかに旅行をしていた。なにかの偶然か、俺が初めて一人暮らしを始めた町は、祖母が最後に旅行をした場所だった。病気が発覚して症状が悪化する前に、祖母は叔母と一緒にその町に旅行をしたのだと聞いた。それを知らずに、自分は家を出てその町に住みはじめた。その町を自分が選んだのも、ただの偶然と気まぐれだった。しかしどこかでつながっていたのだ。その町の写真を撮り、手紙と共に祖母に送った。祖母が手紙を喜び、いつも枕元に手紙を置いていたということを叔母から聞いた。手紙の内容はあまり覚えてない。
博多駅に着くと、雨が静かに降っていた。バスターミナルまで行って、警固方面のバスに乗る。雨に濡れて、青っぽい灰色に町の色味が沈んでいた。窓の外を眺めて到着を待った。バスに乗るのは久々で、大学の頃を思い出す。
警固のバス停で降りた。雨は少し弱くなっていて、そのまま傘をささずに写真屋に向かった。元から傘は持っていなかったけれど。細い路地の入り乱れた迷路のような地帯を進むと出てくる、真っ白い壁に大きな窓。中に入ると人がまばらにいて、右手にカフェカウンター、奥にカフェスペース、左手に写真屋がある。
写真屋のご主人は店の風貌と同じように、柔らかく白い雰囲気をまとった方だった。祖母の庭で撮ったフィルムを渡して現像をお願いした。ご主人はフレンドリーに話しかけてくれた。
「このお店も今月いっぱいで閉めるんです。このフィルムが最後になりますね。銀塩プリントができるところも、今はもう限られています」ご主人が仰るには、やはり写真をプリントするには銀塩が一番いいそうだった。他と比べて長持ちして、時間と共に朽ちていく。主人は名残惜しそうだった。俺もとても寂しくなった。
「銀塩プリントができる場所はこれからも減っていくでしょうね」
そのまま写っているものがほしかったので、現像のオーダーは特になかった。しいて言えば、自分の技術不足で露出が下手くそなことだけを伝えた。
「露出がちょうど良くなるように、調整をしましょう」ご主人は柔らかく答えてくれた。
帰り際、ご主人に引き止められた。
「最後の一ヶ月、いらっしゃったお客さんの写真を撮らせてもらってるんです」そう言って主人はちらりと持っているカメラを掲げた。
店の白い壁の前に立つと、ご主人が快活な声で写真を撮ってくれた。写真はよく撮っていたものの、自分が撮られることは慣れていなかったので、ぎこちない格好と表情だった気がする。
祖母の大事な日はよく晴れる。葬式の日もそうだった。四月の晴れた日、葬式をした。葬儀場に出発する前に、祖母の家で時間を過ごした。祖母のためにリフォームされた家だったが、綺麗な手すり、綺麗な階段、綺麗なリビング、家の主がそこに住むことはなかった。
家には庭もあった。庭いじりの好きな人だった。祖母の好きだった花や木が植わっているが、どことなくものたりない。祖母と別れる前に、その庭の写真を撮った。花の一つ一つや、そこにある気配、光の粒を撮っていった。下手くそな技術とカメラの操作で撮っていった。ひとしきり庭を撮り終えると、家の敷地を出て、近所を歩き始めた。
道はあまり覚えてないけれど、おぼろげな記憶を頼りに、通ったことのありそうな道を歩いた。兄と歩いた道路、従兄弟と遊んだ公園、祖母と歩いた駅までの道。それらを撮影していった。ただただ無心でカメラを向けた。