novel

まどろみの下垂れ

回晩行

収録

刊行

23

ページ

12154

  • 1st短編集-回晩行

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 これが最後、だと思ってもいつも最後にならない。最後の後に最初があり、それがずっと続いている。テーブルの上のグラスに帯状の光が刺している。グラスの底に光が溜まり、水が光をテーブルに散らす。それを手で取りそこねてグラスは倒れて転がり、床に落ちて割れた。

 別れようと思っていた。特別でもなかったが、確かに彼女は私の一部として存在していた。もちろん、簡単に別れられるはずがなかった。

 こういうシチュエーション。五人グループの出先の帰り、私は最初に帰り道につくために別れる。私は余人に手を振るが、その中に彼女もいた。私は手を振るのと同時に、別れの印として、視線を一人ずつに合わせる。けれど彼女と目が合うことはなかった。タイミングがずれてしまったのだ。私が一人目に視線を投げかけてる時、彼女、きっと私にまなざしを向けていた。視線が合わないと気づいて諦めた頃に、私は彼女にまなざしを向けようとする。四人一人ずつに別れをするには、時間がかかりすぎたのだ。数年前の話だった。彼女とはそれ以来会っていない。喧嘩したわけでも嫌になったわけでもない、ただ、会わなくなった。

 帰り道、乗り換えの駅のホーム、私は一人でめそめそと泣いていた。私は誰と別れれば良いのか、誰に手を振り、まなざしを交わせばいいのか、それすらもわからなかった。これはつい数日前の話。

 そんなことが何度もあった。辛くなるとよく、夜に家を出た。音楽プレイヤーと耳をイヤホンで接続して、ポケットの中でプレイヤーを弄りながら歩いた。一つの曲を聴きながらも、すでに次の曲を何にするか考え始めている。イントロでスキップし続ける。とにかく先に進める。私に残されている時間は少ない。

 嫌なことはいつでも、どこでも、いくらでもあった。世間が求めているもの、若さ、女、才能、私は才能以外の全ての属性を備えている。けれど私が欲しかったのは才能だった。他のものなどいくらでもくれてやれた。朝が来て日が昇っても、雨が止んでも何も解決することはないし。すべてを捨てる覚悟で家を出ても、家に戻ればすべてが残っている。

 私はすぐに動いて、場所を変えようと思うが、やがて強い力で引き戻されてしまう。逃避はいつも一時間半で終わる。

 後ろから誰かがついてきていた。最初は一人だった。日に日に増えていった。三人、五人、八人と増えた。何かの幽霊かと思った。複数人がストーカーしてくるなんて聞いたことがなかったから。でも生身の身体のある人間たちだった。男も女も老人もいるし、いつも服装は違った。国籍も様々だった。

 最終的に十三人まで増えた。私はいつも気にせずに歩き続けた。一定の距離を保って同じペースでついてきた。私が走ると十三人とも走った。どれだけペースを上げても、十三人は距離を保ってやってきた。

 私はとにかく走り続けた。すると十三人も走り、私を追い続けた。前髪が光を受ける様を、街頭でそれが揺れるのを美しく思える様を、髪の一つ一つが光を分裂させて色を持つ様をずっと見ていたかった。中身や意味、言葉などどうでも良いと思った。ひたすらな美しさ、見てくれだけの美しさ、音、五感、直感だけで魅せてほしいし、溺れさせてほしかった。これからの人生の全てをめちゃくちゃにするほどの感情に溺れたかった。しかし今や、私はちょっとでも逆撫でしようものなら、壊れてしまうほど張り詰めていた。十三人は疲れなど少しも見せずに追い続けた。

 私も走った。それから、十三人は私をどこかへ導いているのではないかと思った。それがある地点なのか、時点なのか、わからなかったが、今の場所も時間も分からずに逃げ続けた。あらゆる道、あらゆる部屋、あらゆる建物、あらゆる時間、あらゆる季節、あらゆる通路を駆け抜けた。十三人とともに、ありったけの時間と空間を費やして、やがて疲れ切った私は道の途中で限界がやってきて、立ち止まった。近くには雑貨屋があった。

 ショーウィンドウにグラスが並べられてある。月の光を浴びて、影の上に光を投げていた。私の後ろには十三人が待ち構えていた。ちょっとの息も切らさずに私を囲んでいた。

恐れることはない。

私たちは、君と一緒だから。

と、彫りの深い、一人の男が言った。私は十三人の私たちと一緒なのだ、と考えてみた。

君だけじゃない。

私たちはもっとたくさんいる。

君を迎えにきたんだ。十三人でね。

君はこれから私たちになるんだ。

 私は訊いた。

私はどうすれば良いの?

何も心配しなくて良い。導いてあげよう。

  まずは図書館に行こう。

そこには君を助けてあげられるものがある……かもしれない。

 十三人のうちの一人の黒人の女性がタクシーを三台呼んだ。深夜だがほどなくしてタクシーはやってきた。どやどやとタクシーに乗り込む十三人と一人の私に、運転手は少なからず動揺していたようだった。私は先頭を走るタクシーの後部座席に座った。  

私たちの一人は行き先を告げた。

国立図書館まで。

できる限り急いでほしい。

何しろ私たちは先に行く必要がある。

残された時間は限られているからね。

 そう言って振り返り私に向かってウインクした。そしてまた運転手の方を向いた。

ところでコード支払いってできますか?

 私は彼女に言ってほしかった言葉を思い出してみる。時刻は二時過ぎだった。いつもなら、私は布団の上で鬱が達して悶絶する時刻だった。そして泣き疲れた頃に眠り、朝日で無情に叩き起こされるのだ。後部座席で私は眠った。

 図書館に着くと、私と私たちは地下の書庫に向かった。十三人の内の三人が書庫の棚に紛れていった。残りは私を導き、一つのコンピューターにたどり着いた。図書館のデータベースの深い部分までアクセスできるコンピューターだ。

 やがて三人が本を持って戻ってきた。それから私たちはコンピューターの脇にそれを広げた。私はコンピューターの前に座った。

さて、時間は残されていない。

が、かといって若い君は、まあ、まだこれからがある。

これからを進めるために、これまでを君は知る必要がある。

 それから私は本とコンピューターに向き合った。

dehaze