novel

リサの服捨て

至暗面呼

収録

刊行

16

ページ

7251

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  • 2nd短編集-至暗面呼

 アパートの部屋の窓から、向かいの銭湯の女湯の窓が見える。アパートの女人限定にもワケがあったのだ。

 きまって土曜の昼前、おまえは女湯にやってきた。わたしはその時になると、白いワンピースを着て、窓辺にスコットランド製のアンティークのイスをひっぱってやってきた。いつもより乾燥した秋だった。

 おまえのなめらかさを、どのように例えればいいのかわからない。言葉にできないのがすごくみじめだ。やるせなくなる。それでもわたしはやってみよう。おまえの背中は正しく曲がっていて、弦をあてがうと美しい音色を奏でそうだ。わたしはその白さを冬の昼のひだまりのように思う。それから、それから、ぐっとみずみずしく魅せているのは、おまえの脇腹にある、大きなアザのようなテクスチャだった。あれは……ほくろだろうか、タトゥーだろうか、それとも……。

 わたしはいつも、おまえのその模様に見惚れてしまう。誰にも教えない。絶対に。でも、おまえだけになら教えてもいいのかもしれない。わたしは膝の上で力なく手を組んで、イスに座って女湯の窓を見る。わたしの後ろには、虫に食われたように穴抜けの部屋が広がっている。向かいの窓に見えるおまえだけだ。この部屋の中の価値あるものは……。

 大事なモノ《・・》から捨てていったら自分が壊れていった。死よりも失恋よりも辛いものがある。入念に磨かれていない鉄に触れた時のような不安。それでもわたしは芯を強く持って、捨てようと思う。手放すことについて考える。思い出のあるもの……例えば、高校時代に友達と貸し借りして読んだフィクション、幼い頃に親友と作った紙のクリスタル、父さんが出張で買ってきたオブジェクト……。

 わたしにある二択。ゴミ袋へダストシュート、か、ネットで売り飛ばす、の二択。ネットで売ったら自分が売春しているつもりになった。今までの時間はなんだったんだろう?それを買い付ける人は何を考えているんだろう?捨てることは、モノを殺すことのように思える。自分の大切なものを一から千まできっちりカウントして、一番上のものから順に虐殺していくと、追い詰められていったのは誰でもないわたしだった。それでもわたしは上から順に売り、捨て続けた。飢えているから。身体がじゃなく、精神でもないところが、飢えている。それが、私が脱構築するために必要なステップだ。

 キャンパスでおまえと出会ってしまったのはなぜだろう?アトランダムなグループワークで出会う。わたしだけが高まっていた。水蒸気でまみれている時よりもあきらかに異彩を放っていた。存在よりも透き通っているまなざしと、理性的な口元が、育ちの良さを物語っていた。服を着ていることに理解できない。そのままの方がきれいに違いないのに、なぜ?

 記号について語り合う。わたしにとってかなり真摯なモチーフでもある。なんにでもわかりやすい記号、あるいは名前をあてがう行為について。対象を、対象のあるがままの姿にとどめておかない者らの浅ましさについて。とにかく、連中は自らの手で掴める形に変えないと気が済まないのだ。この憎悪を、わかりやすい言葉に変えて伝えられてしまうわたしも晒しあげて八つ裂きにしてほしい。

 月の満ちが引くように、語り終えると俯瞰に引き戻されてしまう。ほてりすぎたとやや後悔するわたしだけが残る。いや、わたしだけじゃなかった、おまえは動作を止めていて、こちらを見ていた。その気体のようなまなざしで。

 それから四日間は二人で語り合った。どこにいるのかもわからず、休息もどうでもいいくらい、お互いのことを語り共有した。触れない距離までおまえに忍び寄っている。

 暗い面は波のように気まぐれにやってくる。おまえといるのがひどくまいってしまうことがある。おまえほど、わたしは純潔で真摯ではない。おまえに見合う人間でありたいと切に願う。

 部屋からモノがなくなっていく代わりに、買い物を始めた。自我が洗練されていくようにと思いを込めて。手触りのいいモノを集めていった。とにかく選りすぐって、肌モノは軽くさらさらしているモノを、それからなめらかで一ミリものひっかかりの無い、余念の無い触れ合わせを選んでいった、

 リネンのブランケットを買った。わたしにたおやかな安らぎを分けてくれる。なぜこれほど素晴らしいのだろう?そのブランケットで眠るとき、わたしはいずれのギアでもない、限りなくニュートラルなフィールドへ落ちていく。……また明日、おまえに会えることを思って。思って。

 このワンピースも新しい私の一つだ。おまえを思いながら、生地から探しに行った。未熟な触覚で一つ一つ吟味しながら、おまえと並ぶにふさわしい服のための生地を選んだ。この生地以外ありえなかった。重いキスよりも私の指を吸って離さない、それでいてどこか軽やかに突き放して、見守ってくれる。そんな生地。その生地であつらえたワンピースで、私は窓からおまえを見ていよう。

dehaze