novel

幻/fantôme

旅のような庭

収録

刊行

7

ページ

2702

  • 3rd短編集-旅のような庭

  • 試し読み

 月光の差し込む穴蔵から二匹で抜け出した。命からがら夕暮れ時を駆けていく。二匹の狼は自由を求めてそこから逃げなければいけなかった。朝日が来る前に。春がやってくる前に。

 まるで何もわからないけれど、後になって振り返るとそれはとても幸福な時間だった。二匹だけの時間を、道のない道を行く。まるで何もわかっちゃいないけれど、幸せな時間だったはずだ。

 その時間は、メスの足が銃弾で吹っ飛ばされて終わった。メスはその衝撃で道に倒れ込み、オスは何が起こったのかわからず立ち止まった。止まったのが運の尽き、オスもすぐに銃で胸を撃たれ、その場に倒れた。

 どこからともなくハンターと老婆が現れ、瀕死の二匹に駆け寄ってきた。ハンターは毛深い男で、腕一本で人を三人殺せそうな巨体だった。老婆は今までの人生がそのまま顔と風貌に現れているような意地汚い見てくれだった。二人は狼たちを棍棒で叩き殺した。男が二匹を抱えて小屋に戻って行った。

 オスは意識も息もない魂で思考を巡らせた。最後に歌った歌はなんだ?最後の舌触りはなんだったか?次に意識が戻った時には、炎が燃え盛る暖炉の前、みずぼらしい絨毯の上でメスは部位ごとに肉を解体され、毛皮だけは丁寧に綺麗に剥がされていた。

 次はオスの番だった。動かなくなった心臓のあたりに、老婆がナイフを突き立てて、慣れた手つきでそれをすっと下まで滑らせると、暖かな血が溢れ出てきて、オスは二つに割れた。

 それからのことはぐちゃぐちゃでわからない。オスも肉を一つ一つ切り取られ、それらを絨毯の上で並べられていった。目の中にあった光はもうどこかに行ってしまって、彼もまた美しい毛皮になった。

 毛の一つ一つで気配を、音を、探ってみた。ハンターと老婆は言い争っているようで、老婆がメスの毛皮を離そうとしなかった。老婆はそのまま小屋から逃げようとしたが、ハンターは逃さなかった。その長く大きな右腕で老婆の身体を掴み、左腕でオスの毛皮をむしり取るように掴んだ。

 毛皮は誰かの息を感じる。老婆の息だった。ハンターはオスの毛皮で老婆の顔を覆い、首を絞めた。毛皮はまだ血で濡れたその裏面で、老婆の汚い肌と苦しみ喘いでいる息遣いを感じる。どれだけもがいても、大きく美しい毛皮は逃さなかった。

 老婆はやがて力尽きて、その場で倒れた。毛皮は動かなくなった老婆の頭を覆ったまま。それから毛皮も意識を失った。

 ハンターは彼に負けじ劣らず屈強な船乗りにオスの毛皮を売った。メスの毛皮はハンターのマントになった。知らない船、知らない海で毛皮は運ばれていく。

 夕日が溶けていったのは、プラスチックのジェルが流れ落ちていったから。オレンジがだんだん紫がかって、泡がだんだんぼやけていって、もう耐えられなくなりそうだ。こぼれそうになったとたん、落下が止まって、そのまま円形に回転していった。軌道が丸を描いていって、産業油のような輝きで旋回して、下に垂れそうな雫が弧を描きながら上に逆流していった。まばたきするたびに加速する。やがて円形に模様ができてから、夕陽を囲ってるビル群のグレーが煌めいている。もしかしたら、もしかすると、これからも生きていけるかもしれない。もちろん、それはもしかしたらの話。

 どこかで船が旋回している。霧の隙間からそっと銀色の筒を伸ばして、様子と機会を計っていた、皮を剥ぐハンターよりも狡猾な別のハンター。不気味なほど青白く光っている銀色の筒は、真ん中に真っ黒な空洞がある。そこから弾が発射されたら最後、船ごと沈めなければいけない。霧を水平線と平行にスライスするようにして、それがどこにいるのかを確かめようとしたが、やがて失敗に終わった。自分が見えないどこかから、筒に狙われるその感じを、ずっと刻まれている。

dehaze