novel

ko・o・o

渡り砂漠を向こう舟

収録

刊行

25

ページ

9139

  • ミニ短編集-砂漠

  • 試し読み

 梅雨の昼は時間がしなって伸びてるように思う。ファミレスにいると、なおさらそう思う。午後二時なのに薄暗い店内はわずかに人が入っている。私たちの席のうしろには勉強をする学生たちがいて、すぐとなりにはホームレスみたいな男がいる。私はテーブルの下に両手を隠してる。右指で左指をさすっていて、ここにいようと集中しようとする。今はただ、愛に耐えられるカラダとコトバがほしい。

 

 「これは言うなればね、定点観測みたいなもんだね。人との関係性は常に変わりつづけるからね、つまりこれは今をキロクしていくんだ。もちろん、これはカメラのようなハイファイなシロモノじゃない。だけどね、オーディションとかガレージバンドとかフォトショやファイナルカットじゃ加工できないものをキロクできるのさ。簡単にデータを加工できる今、重要なのは簡単に加工できないデータ、そうだろ?」

 そう言ってカナメ君が見せたのは、立方体のボイスレコーダーだった。かなり古い機械だった。カセットテープで記録しているらしかった。

「それで、何をするの?」

「何って、ただおしゃべりするだけさ。俺が知りたい君のことを聞く」

「なにになるの?それ」

「わかんない。あとで聞いたらウケるかも」

 店の外ではビニール傘をさしている人が多い。窓辺に座る私たちは外の景色がよく見える。ガラスに流れる水滴を見ていると、溺れたつもりになった。ちょっとの間のまばたきすると川底にいるような気がして、少し落ちついた。まばたきって、いつもすぐ終わっちゃう。もっとつづいてくれていいのに。

「いいよ。やろう」

「そう言うと思った」

 私がそう言うと、カナメ君は嬉しそうだった。

 それからレコーダーのスイッチを押した。中でテープが回りはじめた。何かを吐き出しそうになったが、吐き出さずに済ませた。 コーヒーを一口飲んでからカナメが話を切り出した。

許せなかったことってあるか?俺はいろいろある。いつも何かに対していら いら、許せないことばっかさ。君はどう?

どうって?

許せないこと。

ないね。

本当にないの?

ないよ。

おおらかなんだな。本当にない?自分に対しても。

……自分になら、あるには、ある

へえ、どんなの?

……。

 

 そこまでしてから、カナメに言いたくなくなった。ソファにもたれて天井を仰ぎ見た。ソファがなくても、いつもカラダを手放したい気持ちだ。けれど、その日の私はカラダを手放しても水が受けとめてくれるような気がした。蹴伸びをするように脱力をしてみる。

……気になってた人にうまくしゃべれなかった。それだけ。

はしょったらいけない、ディテールも話して。

……好きな音楽の話をしていたの、そこで本当に好きなものを言えなかった の。ほら、ニッチな好みが言えなくて、無難なものを答えちゃうこと、ある じゃない。

それで?

それっきりよ。数年前に、その人が知らない女と、私の本当に好きなミュー ジシャンのライブに行ってたのをインスタにあげてた。それでおしまい。

ハハ!それはたしかに許せないかもな。

その時が一番許せなかった。

なんで言えなかったの?

わからない。でも、多分、自分のこと好きじゃなかったんだと思う。その ミュージシャンが好きな自分を信じきれなかった……のかもね。二年ぐらい 経ったけど、いまだに許せない。

 それからカナメ君はスイッチを切った。テープが止まる。

 「想像以上にたくさん喋ってくれる」

「それ、なにになんの?」もう一度聞いてみた。

「いや、なににも?」なににもならないらしい。

 溺れたつもりになったままひとり、帰りの電車で考えた。私はあの人に何を言えばよかったのか、なんと言われたかったのか……無性に自分が腹立たしく思えたが、最寄駅に着いたドアからの空気で、一気に陸へ引き戻された気分になった。

● ●

 雨は一週間降りつづけた。新しい傘を買いたい。透明の地にカラフルなサカナのプリントがされている傘を、通りかかった雑貨屋で見た。でも昨日、また通りかかったらなくなってた。しかたなくハリネズミの柄のを代わりに買った。

 道中、電車でインスタを眺めていた。カナメ君は大人数グループでボーリングに行った写真をあげていた。知らない男たちと女たちが笑っている。夢は願えば本当に叶うと信じているように笑っている。その前はサーフィンをしていた。さらにその前はボルダリングをしていた。カナメ君は人脈が広く、多趣味というよりかは、その時々でつるんでいる連中の趣味に憑依していた。

 カナメ君はくるくる変わりつづける。暗いロックを聴いている時があれば、毒にも薬にもならないポップを聴いていたりもする。大体はその時々の女の趣味なのだ。

 良くない自分の暗い面が浮かんできたから、沈めるために目を閉じた。買えなかった傘のサカナを思い浮かべる。サカナは電車の中を居心地悪そうに泳ぐ。そんなことをしているうちに駅に着いた。カナメ君の待っている駅。サカナはいつも、私の周りの一メートル先の距離を測って泳いでる気がする。目を開いていても泳いでいる。かもね。

 「前のはとてもよかった。ちょっとずつ、君のことを知れるような気がしてきた。俺が思うに、コトバってのはラリーをつづけることで、特有の意味が生まれると思うんだ。別に小難しいコトバじゃなくても、考えに考えたコトバじゃなくてもいいんだ。かんたんなコトバでも、ラリーをつづける。そしたら、いつのまにか、違うところにいる。それっておもしろいだろ?そんなこんなで二回目を始めよう」

「よくわかんないな」

「まあやればわかる。きっと」

 前回と同じファミレスだった。後ろではマダムたちが近所のうわさ話で盛り上がっている。通路をはさんで隣の席にホームレスが今日もいる。彼の席は大きな四人がけのテーブルで、小さなコーヒーが一つだけ置かれている。ホームレスはそれに口をつけようともせずに、帽子を深くかぶっている。起きているのか、寝ているのか、それとも生きていないのかどうかもわからない。今日もガラスには雨粒が垂れている。それを見て緊張が半分楽になって、もう半分はあきらめになった。

dehaze