最初はただ、記録をするつもりだった。
なのに、いつからか、
未知のものを創れると錯覚してしまったのだろう?
何万年も前に海が枯れた砂漠の途中にも号砲は届く。軍隊の訓練が始まったのだ。それはスパイクたちのキャラバンが故郷を旅立ってからまる二年経ったことも意味する。スパイクたちは音の方へ顔を向けた。残響を見ようとするかのように。
完全な静寂が戻るまでにため息が一つ聞こえた。スパイクは順にメンバーの方を見た。一行の反応はそれぞれだった。無言で彫刻を続ける者、疲弊の色を隠せないでいる者、苦悩の表情、遠いどこかを想う者。
最初は二十三人もいたキャラバンは、今は四人になっていた。リーダーのスパイク、軍人のローラン、学者のベインズ、彫刻家のウィスラーの四人だった。
砂漠のあちこちで動く気配がした。出稼ぎのためのキャラバンが、砂漠を撤退しようとしているのだ。号砲、つまり訓練の始まりは、夏季乾燥期の始まりでもある。普通の思考を持つキャラバンは、乾季に砂漠を進もうとしない。普通じゃないのが、スパイクのキャラバンだった。
「これで二年経ちました。これから三年目ですよ。出発したその日に同じ号砲を聴きましたからね」最初に口火を切ったのはベインズだった。
「それで、何が言いたいんだ」ローランがうんざりするように言った。
「いえね、別に文句を言いたいわけじゃないんです。ただね、三年も探し続けても見つからないものは、そもそも存在しないのではないか?とは思いますね」ベインズが吐き捨てる。
「あるとしたら、この先の一帯と言い出したのはお前だ」ローランが言い返した。
「たしかに言いましたね。でもね、それはあくまで考察の域であってね、絶対、必ず、間違いなくの、一二〇パーセントってわけじゃないです。何度もそれは言って──」
「わかったわかった、一度お互いの想いを擦り合わせよう」スパイクが制止して、全員が黙り込んだ。スパイクはノートを閉じ、ペンのキャップをつけてから、再びメンバーの一人一人の目を見つめるように話し始めた。
「我々が探し求めているのは、定住可能な新しい土地だ。じきに故郷は住めなくなる。あと──」
「半年です。二年経ちましたからね」ベインズが食い入るように言った。
「そう、半年だ。時間はないが、我々は故郷の想いも背負っている。それはわかるだろ?」全員頷く。
「とは言っても、俺も強制しているわけじゃないし、希望をずっと持っているわけじゃない。村の皆もだめもと、土地が見つからずに全滅する可能性が大いにあることを十分理解しているだろう。だからリタイアするメンバーをうらんだりしちゃいない。最後の時を家族と過ごすのも選択の一つだ。それでも、私を含むこの四人は今、残っている。それはなぜだろう?」全員押し黙る。
「やっぱりどこかで、希望を捨てきれないからだろう。一%でも、どこかに我々の住める新しい故郷があると。もう一度それぞれの意志を改めて確認したい。私は一人一人の意志を無碍にしない。リタイアしても構わないんだ。どうする?」黙ったままだった。
まず最初に口を開いたのはローランだった。目をまっすぐスパイクに、はっきりと芯の固い声で答えた。
「俺は続ける。どっちみち、待っているのは死だ」スパイクがうなずく。
次はウィスラーだった。やわな声だったが、手元のノミはしっかり握られている。
「僕も行く。絶対どこかにあるはずだ。そしてそれを記録して、見届けたい」スパイクがうなずく。ベインズは口を開いて、そのまま考えあぐねたのか、言葉を発せずに少し時間が空いた。皆がそれを待って、ようやくベインズが答えた。
「次のオアシスを出発するまで、考えさせてくれないか?俺だって……まだ望みを捨てたわけじゃない。ただ……」両手で顔を覆うベインズにスパイクがうなずく。
「いいだろう。待とう。誰も否定はしない。次のオアシスまで行こう。ただ、その先は地図のない一帯を進み、墓地を目指す。今まで以上に過酷になるはずだ。わかっていると思うが、それを踏まえた上で考えてくれ」
「オーケー、わるいね、弱気になって、どうかしてるんだ……」
「仕方のないことさ。じっくり考えるといい」
それから日が沈み始め、一向は夜の準備を始めた。枝葉を集めて火をつけ、タペストリーを敷いた。ウィスラーはノミで岩を削り取り、槍状の形に彫刻を始める。 ウィスラーは自分の信じたものを追求する芸術家だ。彼の手にかかれば、どこにでもある岩でさえも、研ぎ澄まされた啓示を孕んだ槍になった。彼の作品を見るたびに、仲間たちは驚嘆した。皆がそれに触発されて、思い思いの模様をナイフで彫った。そのようにして、彼らは一日の旅の疲れを癒していた。毎晩のその時間が、彼らの唯一の癒しなのだ。
その癒しも、束の間に終わる。夜がふけていくと口数が減っていき、思い思いの体勢で横になる。太陽のない砂漠は冷たく、幾重にも連なる地平線の稜線が青白く波打っている。ベインズはメガネを外すやいなや、すやすやと寝息を立てて眠った。ウィスラーは彫った自分の彫刻を指でなぞる。ローランは葉巻の最後の一箱を開ける。愛おしそうに、しかし惜しまずに煙を吸って、吐いた。スパイクはノートにその日の記録をつける。それがスパイクの日課だった。ただひたすら歩き続けていた一日でも、その日に考えたことや風景の移ろいをつぶさにスパイクは記録した。それが何の役に立つかもわからないが、スパイクにとって欠かせない行為だった。自然と出てくる言葉をノートに書き連ね、少し手が止まると砂漠の稜線に視線を委ねて、そのまま葉巻の煙と共に舞いあげる。
視線を煙に流されるがままにすると、奥には球体のように純粋な夜がある。さらにその奥に星々が浮かんでいる。それらの途方もない遠さを、地表は感じさせる。したたかに吹きすさぶ風で砂は運ばれていき、砂漠は少しずつずれていく。砂はやがて夜を転がしどこかへ追いやってしまう。何遍も見慣れた広大な空と地表。その中のどこかに自分はいて、そして風や砂によって、自分も少しずつずらされていくのだとスパイクは思う。スパイクが旅を続けるのは、そのずれへの反抗でもあった。しかし時折、その自然の一部に取り込まれてしまうような感覚もあった。まるで自然と自分の境目がどこにあるのかわからないような感覚だ。我に帰ると、恐ろしさが残ったが、なぜ帰ってきてしまったのかという疑問もわずかにあった。その疑問を打ち消すようにスパイクは目を瞑った。
一人ずつ眠りに落ちていった。明日に備えて、誰一人無駄口を叩くことなく貪欲に休息をする。ベインズは故郷にいる家族を、ウィスラーは自分達があるべき場所を夢見ている。そしてスパイクもその場所のことか、あるいは故郷にいる妻のことか、何を考えているのか、自分自身でさえも計り知れずにいる。スパイクは、夢を見るにはキャラバンや故郷のために己を殺しすぎたのだ。彼自身でさえも、うちなる己の欲を掴めない。しかし確かに、底の知れない飢えを実感していた。
銀よりも白い月が彼らを見下し照射する頃にも、砂漠は形を変え続ける。風によって絶えずうねり、脈動している。眠る彼らは、少しずつ見知らぬどこかへと漂流されていくようだった。その時、月はきまって彼らを嘲笑っている。愚かな希望を抱く者ども。