とある夜、とあるバーで平尾は一人の男と遭遇した。平尾はその男と酒を飲み、特におおごとになったわけないが、平尾が後から振り返るに、彼自身の人生の中でも数えられるぐらいの、とても重要なことがそこで起こっていた気がしてならなかった。とにかく素晴らしい男で、良いところが一つも無かった。
平尾の仕事終わりの楽しみは、酒を飲むことだった。最底辺の居酒屋で土木作業をしている中年たちと話すこともあれば、道端にいる大学生やホームレスと語り合うこともあり、最上級のバーで人間を金で買える富豪と語ることもあった。だからたいていの人間には驚かなくなっていたが、その男は別格だった。
平尾がそのバーに入ったのは、看板の鱒の絵に惹かれたからだ。上手くも下手くそでもなく、可愛くもかっこよくもない、どっちにもなれない感じが気になって、店に入ったのだ。ナッツとシングルモルトを頼んでから、店を見回すと、居心地の良い雰囲気だと思った。レコードとミニチュアのフィギュア。大体は平尾が子供の頃に流行っていたキャラクターものだった。マスターがグラスとナッツを持ってくると、それを一口飲んだ。
そこに例の男が現れた。男は修治と名乗ったが、平尾の覚えのない名前だった。修治は軽快なテンポで平尾と同じ酒を頼んだ。平尾はどこかの酔っぱらいだろうと思った。イヤにニコニコしながらも、どことなく切れそうな鋭い危うさも感じられた。しかし、それ以外は至って普通の、どこにでもいそうな三十代の男という風だ。三十代、そう、修治は平尾と同じぐらいの年代だろうと読んだ。
「ちょっと聞いてくれないか?」修治はモルトを一口、それから切り出した。
「どうぞ」平尾が答える。その日は、平尾はかなり軽薄で社交的だったから、彼の話に乗ってしまった。それが間違いだった。
「これは……これから話すことはとても個人的なことではあるが……でももしかすると普遍的なことでもある……どうだかね……。どういうことかというと……愚痴ではなく告白みたいなものだ……罪の告白みたいな……なぜ俺だけが?だが俺だけじゃないはずだ!俺が代表して告白しよう。決して俺だけじゃない。それだけは断言できるね。結論から言えば、俺は加害者側だったってことさ……。どうにかしてるね?俺は今まで自分を社会的弱者だと思っていた。矮小な存在で無力だと思っていた。迫害される側だと思っていた。ところがどうだ?そんなことはなかった。迫害していたのは、他でもない俺だったのさ!それもこれも自業自得さ!俺が全部やってるんだ!とても怖いな、気づいてしまったのさ、俺は快楽に溺れていた……。自慰でも性交でも得られない、連中にはわからない快楽さ……」修治はもうすでに酔っ払っているようだった胡散臭く思いながらも、そのまま平尾は話を聞いた。
「つまるところ……何をしたんです?」平尾の質問も冷静に聞かず、攻撃的な目線を向けた。
「お前にわかるか?いや……わからないだろうなぁ!俺の告白はこれで二度目だ。これまでの人生の中で、たった二度目!そのうちの一つを今やっている!一度目はいつだったか、確か中学生の頃だったね……その頃、俺は高熱にうなされていた。学校を休んでひたすらベッドで寝ていた。地獄のような時間だったよ。お前にわかるか?いや……わからないだろうなぁ!まるまる二週間も高熱が引かなかったよ!死を覚悟していたね。来る日も来る日も高熱でうなされて満足に食事もできず、起きては寝て、寝てはうなされ、うなされては起きて、また寝て……終わりがないように思えた。これが報いか?確かに俺はその時も罪を感じていた。俺はしでかしてしまった。とんでもないことを。そんな罪に駆られて、何度も何度も飛び起きた。もはや何が現実かもわからなくなっていた。お前にわかるか?いや……わからないだろうね!現実と非現実の境目がわからないとかそういう次元じゃないんだ……非現実も現実の中に内包されて、その全部が俺に襲いかかってきていたのさ!ああ、長くなってしまったが……その日も俺は高熱で食欲のない頭と身体でかろうじて朝食を食べて、すぐに横になった……それでどうだ?次に起きたのは何時だった?覚えちゃいないが……確かに罪の意識で目覚めた。俺は気が気じゃなかった。今すぐ償わなくちゃいけない!けどどうやって?わからないけど、早く!とても怖かった。それで俺はベッドを飛び出た。父親は仕事に出て、母親は買い物に出て、家には俺一人だった。そのまま家をうろついた。ところがどうだ。家には償える場所もありゃしない!俺はますます怖くなって、焦りに焦った。とにかく汗にまみれた。どうしよう?償わないと!そのまま家を飛び出したんだ。家の外も、とても静かだった。それもそのはずだ。みんな学校に行ってるし、大人も外に出ちゃいなかった。それでもいい、とにかく何かしなければ!俺はとりあえずうろついて、行くあてもなく彷徨った……どこにいけばいいのか?誰かいないのか?とにかく歩いた……。ようやく人を見つけた。誰だと思う?」突然平尾に話が戻って、動揺した。